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宇多田ヒカルが実父バッシング報道と対決へ 母の遺言書があった [芸能]

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藤圭子(本名・宇多田純子)が西新宿のマンションから飛び降り自殺をして2週間。

事件後の親族間の争いや、娘の宇多田ヒカルの動向を伝える報道が過熱する中、
宇多田ヒカルが9月5日、自身のホームページ上で報道内容に反論するコメントを発表した。
ここでは、各誌の報道内容を振り返りつつ、宇多田が反論に至った経緯をまとめたい。

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続きは後半にて



















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藤圭子の実兄をはじめとする親族への取材を成功させ、
元夫・宇多田照實氏へのバッシング色の強い記事を掲載しているのが『週刊文春』だ。

同誌の8月29日売り号では、藤圭子の訃報の翌日、
実兄である藤三郎氏が遺体の安置されている新宿署に駆けつけたが、
警察により遺体との対面は拒否されたとの記事を掲載。

身元引受人が藤の元夫・宇多田照實氏であることを明かした上で、
藤三郎氏は「宇多田君はこれまでも圭子と家族を切り離し、
会わせないようにしてきました。

圭子が死んでもなお、同じことを続けるのかと絶望的な気持ちになりました」と不満を顕にした。

また、同誌や『フライデー』8月30日売り号によれば、
ロンドンで日本画家の男性と同居していた宇多田ヒカルは急遽帰国。

葬儀場となった都内の会館で27日、父の照實氏と2人きりで藤圭子の死を悼んだ。
このことに対し、藤圭子の叔母にあたる竹山幸子さんは
「宇多田さんとヒカルだけで荼毘に付するなんて、不自然なことだし、
納得がいかないわけです」と語っている(『週刊文春』9月5日売り号)。

さらに同誌は、芸能関係者の証言として
「ヒカルは母親を埋葬して、数日後、お骨を持たずにロンドンに戻ったようです。
誰が遺骨を引き取るかはわからない」との証言を掲載。

生前、藤圭子が知人に「ヒカルちゃんが私を遠ざけているの」と
漏らしていたことにも触れており、藤圭子と宇多田ヒカルの関係も断絶していたのでは、
と推測する記述も見られた。

一方、『週刊新潮』9月5日売り号は、
RCAレコードで藤を担当していた元ディレクターの榎本襄氏の
「ヒカルのイメージを崩さないようにしたい。

宇多田照實さんはそう考えて藤圭子を世間から遠ざけたのだと思っています」とのコメントを掲載。
藤圭子が“世間から消えた”晩年を過ごした背景に、
宇多田照實氏の意向が働いていたことを示唆した。

一連の報道を受けてネット上では、照實氏が藤圭子を追いつめ、
宇多田ヒカルの利権を独り占めしようしたのではないか、との見方が強まった。

そんな中、宇多田ヒカルは9月5日、自身のホームページで
「父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、
籍も父の籍においたままでした。

夫婦だとか夫婦ではないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人でした。
亡くなる直前まで、母は娘である私だけでなく、父とも連絡を取り合っていました。
父は、母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人です」と、

照實氏と藤圭子の関係が、報道のように険悪なものではなかったと反論。

さらに、葬儀を親子2人だけで行ったことについては
「母の遺体との面会を希望された方もいらっしゃいましたが、
やむなくお断りさせていただきました。この場を借りてお詫び申し上げます。

母の気持ちを考えた上での、喪主としての私の判断でした。
(中略)遺言書の内容に基づき、出来る限り母の意向に沿うべく精一杯の弔いをしています」と、

遺言書があったことを発表すると共に、
藤圭子が「葬儀や告別式といったイベントを好むような人ではなかった」ために、
故人の意志に沿って葬儀を行ったことを示唆した。

著名人の死後にはしばしば、親族の証言をもとに“骨肉の争い”を伝える報道がなされる。
藤圭子死去後の報道もまさにその一例だが、今回の宇多田ヒカルは当事者として、
いち早く反論を行ったことになる。

歌手復帰が待たれる宇多田だけに、音楽ファンとしては一連の騒動の早期決着を望みたい。

藤圭子を長年応援してくださった皆様へ

亡き母に代わって、皆様への感謝の気持ちを述べさせてください。長年の応援、ご支援、ありがとうございました。

今なお母の心配をしてくださっている方々にお伝えしたいことがあります。

一連の記事で母の本名が誤って報道されていました。阿部純子ではなく、宇多田純子です。父と離婚後も、母は旧姓の阿部ではなく宇多田姓を名乗ることを希望し、籍も父の籍においたままでした。夫婦だとか夫婦ではないなんてこと以上に深い絆で結ばれた二人でした。亡くなる直前まで、母は娘である私だけでなく、父とも連絡を取り合っていました。父は、母が最後まで頼っていた数少ない人間の一人です。

それらの事実をふまえた上で新宿警察署は、母の遺体の本人確認と引き取りを父が行うべきと判断したものと思われます。当日新宿警察署に行ける状態ではなかった私に代わって、辛い思いをしながらも、父はこの役割を果たしてくれました。

母の遺体との面会を希望された方もいらっしゃいましたが、やむなくお断りさせていただきました。この場を借りてお詫び申し上げます。母の気持ちを考えた上での、喪主としての私の判断でした。

様々な情報(正確ではないものも多分にあります)が錯綜する中、葬儀はなく火葬のみという報道を耳にし、疑問を抱かれている方や、母のことを案じてくださっている方もいらっしゃるかもしれません。遺書はなかったと報道されていますが、今年の始めにしたためられた遺言書はありました。他の解釈の余地の無い、母らしい、非常に率直な遺言書です。その遺言書の内容に基づき、出来る限り母の意向に沿うべく精一杯の弔いをしています。

母は、身内や知人の葬儀には出席せず、自分の時間、自分のやり方でお祈りを捧げる、というポリシーの持ち主でした。葬儀や告別式といったイベントを好むような人ではなかったことを、母をよく知る者、母のためを思う方なら、ご理解してくださることと思います。

私も藤圭子のファンでした。今も、この先もずっとファンであり続けます。


平成25年9月5日 

宇多田ヒカル


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